The Japanese Association for the Study of Popular Music

2011年第1回関東地区例会

震災の影響で延期となっていた関東地区修士論文発表会の開催日が決定しました。
関東地区では、修士論文発表会を下記の通り開催します。

日時:2011年6月4日(土)13:30-
会場:東京芸術大学 北千住キャンパス 音楽学部音楽環境創造科 第一講義室
地図:http://www.geidai.ac.jp/access/senju.html

発表:
1)「消費者生成型メディアと国内コンテンツ産業の関係性の変容」
発表者:武居健太 (東京工科大学メディア学部)
時間帯:13:30-14:15
発表要旨:
今日、我々は自宅に居ながら映画を見ることや音楽を聴くこと、仮想テーマパークに友達と参加するなどといったことが可能になった。これはコンピュータやネットワークなどの技術革新のほかに、コンテンツ提供者による多々のサービス展開があってこそ成り立つものである。なかでもコンテンツの利用を許諾しているコンテンツ・ホルダーの意向は状況を大きく左右する。なぜなら現在の著作権法ではコンテンツは著作者や著作者の所属するコンテンツ・ホルダーによって利用許諾が設定され、コンテンツの使用のよりコンテンツ・ ホルダーは収益を得ているからである。ラジオ放送が開始された昭和初期ではアメリカのレコード産業は一時的に大きな打撃を被り、日本ではラジオが流行歌のサンプル配布者の役割を果たした(生明、2004)。その後ラジオやテレビなどのメディアとコンテンツ・ホルダーは著作権使用における包括契約の締結や、コンテンツのメディア露出が常例となり協力関係を維持してきた。
以上を踏まえるとインターネットの発達によって誕生した消費者生成型メディア(Consumer Generated Media、以下CGM)とコンテンツ・ホルダーも従来メディアのように協力関係を築くものだと予測される。しかしCGMはユーザーがコンテンツを発信するという従来メディアとは大きく異なる特徴を持つ。ユーザー発信によるコンテンツは、コンテンツ・ホルダーが制御可能な情報量を大きく超えるということだ。このような状況の中で本研究ではCGMとコンテンツ・ホルダーとの関係性の変遷を定性的、定量的に検証していく。
国内国外共に最も普及しているCGMはYouTubeであり、2009年3月では国内ユーザー数が1907万人と言われている(ネットレイティングス2009年調べ)。YouTubeに付随する権利問題はサービス開始当初から沙汰されてきた。しかし現在では各権利者が思慮することはあっても、ニュース記事など話題になることは減少した。CGMの先駆者であるファイル共有ソフトのNapstarと比べると、10年前とは明らかに異なる結果となっている。本研究においてこの二者の違いにも言及し、CGMの認識を変容させた要因を示すことで、コンテンツ業界の動向を考察する。

2)「デジタルシフトが生む映像コンテンツの新しい消費態様と評価指標~バリューチェーンのデジタル化がアニメにもたらす影響から」
発表者:松本淳(東京大学大学院)
時間帯:14:15-15:00
発表要旨:
「ジャパニメーション」が喧伝されるようになって久しい。映像のみならず、脚本、音楽、声優による演出、キャラクター商品など、アニメーションはコンテンツ産業の様々な要素を内包して成長してきた。報道等で取り上げられるように海外での人気も根強いものがあり、国も様々な振興策・育成政策を実施してきた。
だが、2005年のブームから一転、制作される作品本数は減少傾向にある。本論文では、アニメビジネスとコンテンツの現状を整理した上で、「メディアの転換(メディアシフト)」がそこにもたらす様々な変化を考察する。他のエンターテインメント産業にも共通する諸課題が抽出されるはずである。
複数のクリエイティブ著作物の複合体とも言えるアニメが、様々なメディアを介してその制作費用を回収していく仕組み(製作委員会方式)を改めて確認する。そこではコンテンツを展開するウィンドウの選択と、コンテンツへのグッドウィルを活用することがその鍵となる。
2000年代には盤石に見えたこれらのスキームだが、大きな変化に晒されている。その変化の態様と「ニコニコ動画」をはじめとするネット映像視聴サイトの実像を幾つかの側面から明らかにしていきたい。
本論文ではコンテンツ側の変化も確認した。アナログからデジタル、デジタルからネットという変化は伝送手段のみならず制作手法から消費の在り方まで影響を及ぼしていく。結果として経営的な観点からはバリューチェーンを大きく組み替えていく必要に迫られている点についても触れる。
論文後半ではウィンドウウィングモデルの再定義を提案する。物理的メディアを介してウィンドウ設計と販売モデルを組み上げてきた従来の手法は限界を迎えているという観点から、コンテンツ提供者がどのようにウィンドウ展開を組み上げればよいのか事例を交えながら解決の方向性の提示を試みた。

3)「日本におけるDubstep―音楽シーンに関する考察―」
発表者:アルニ クリスチャンソン(東京芸術大学大学院)
時間帯:15:15-16:00
発表要旨:
本論の目的は音楽シーンの考察であり、特にダブステップとして知られるダンス・ミュージックのジャンルがいかに日本においてローカル化していったのかを検討する。ダブステップのクラブ・イベントの参与観察を通じて民族誌的なフィールドワークを行い、ダブステップのアーティストやDJへのインタヴューや、音楽雑誌の調査を実施した。
1990年代初頭に始まったクラブ・カルチャーについての研究は、パンク・ミュージックに着目したバーミンガム学派のサブカルチャー研究が基礎となっている。日本のダブステップを分析する上では、「シーン」を定義したウィル・ストローの研究と、ファビアン・ホルトによる「ジャンル」の定義を論拠とする。
インターネットを通じた草の根的なムーブメントとして世界中に広まっているダブステップは、グローバル化している文化の興味深い事例である。2004年に初めて日本に輸入されたが、メジャーなメディアには認知されていなかった。2007年頃からローカルなシーンが成長し始め、東京や大阪でパーティが開催されるようになり、そこから様々なイベントやアーティストたちが派生し、全国各地さまざまな地域に出現するようになった。
日本におけるクラブ・ミュージックのジャンルにおけるローカル化についての先行研究は非常に少なく、そのほとんどは日本にヒップホップが進出した際の足跡をたどったものであるのだが、ここではそれとは異なったローカル化の過程について論じる。
本論で述べた考察を通じて、ローカル化された音楽シーンについて着目する際の2つの異なった方法を提示したい。1つ目は、音楽的活動の文化的な領域として、そして2つ目は、文化化が完結した「ローカル・ジャンル」としてである。日本でのダブステップ実践を説明するための言葉としては、「ローカル・ジャンル」よりもむしろ「シーン」がふさわしいとものだと言えるだろう。

4)「失われゆく音楽文化の多様性・多言語性を求めて―― グローバル化時代の地歌箏曲伝承のフィールドワークから ――」
発表者:佐藤岳晶(東京芸術大学大学院)
時間帯:16:00-16:45
発表要旨:
グローバル化に伴う西洋音楽の世界的浸透・ヘゲモニーの拡大ならびに、その音楽への同化等による、世界の音楽文化の単元化・単一言語化と、それに伴うマイナー音楽文化の危機への問題意識から、音楽文化の「多様性」について再考する。
当省察においては特に、異なる音楽言語間の「差異」について注視し、多様な音楽言語の併存による「多言語性」の相において、音楽の多様性を思考する。カルチュラル・スタディーズの理念・方法論に基づく学際性ならびに実践との節合を旨とするアプローチにより、研究・探究は、「グローバリゼーション」や「ポストコロニアリズム」といった社会・歴史・思想概念や(社会)言語学等とも分節化され、また、フィールドでの実技研鑽や演奏活動への参加、ならびに作品創作といった実践とも有機的に結びつけられてきた。
多言語性を基とする音楽世界観を求め、音楽にまつわる「普遍性」の批判的再考と西洋音楽を相対化させる視座の獲得、ならびに、音楽文化・音楽言語間の「差異」を実証すべく、幼少より西洋音楽を学んできた筆者は、西洋音楽とは異なる音楽のあり方を今に伝え続ける、重要無形文化財保持者の二代 米川文子師の主宰する、生田流・地歌箏曲の一会派「双調会」において、音楽修行を兼ねたフィールドワークを行ってきた。
言語学の分析概念を援用しつつ、「双調会」伝承の地歌箏曲と西洋音楽の間の通約不可能な音楽言語上の「差異」を明らかにすると同時に、このような「差異」の拡がりの中にこそ、人間の音への認識・音楽の営みの多様性の意義深さがあると提起するとともに、その多様性・多言語性の維持・発展の希求において、「双調会」をはじめとする非西洋音楽文化の今後、「差異」を資源とする創造の可能性等へと検討を拡げて行く。

5)「『社会としての学校』におけるメンバーシップ~インタビューと参与観察に見るカテゴリーの使用を題材に~」
発表者:團康晃(東京大学大学院)
時間帯:17:00-17:45
発表要旨:
本研究は、学校を幾重にも折り重なる相互的な意味構成の結節点として、つまり「社会」として描き出すというものである。これまでP.ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』をはじめとするサブカルチャー研究や日本における生徒文化研究は、学校という場に見出される文化とグループ、文化的差異の在り様を明らかにしようとしてきた。しかしながら学校と文化をめぐる諸研究は、二つの困難を抱えていたといえる。一つには、80年代後半以降学校という場が研究対象として背景化していったことであり、もう一つには、多くの研究が「学校という社会」ではなく「学校を通して社会」を記述しようとしてしまうが故に、学校という社会において、相互行為を通して達成されるメンバーシップ、つまり成員たちが織り成す文化的な差異を記述できないということだった。
そこで本研究ではこれまでの文化とグループをめぐる諸研究の問題意識を受け継ぎながら、エスノメソドロジー・成員カテゴリー化装置のアイデアを手がかりに、これまでの課題であった学校という社会の中でのメンバーシップの達成、言いかえると相互行為における様々なカテゴリーの使用とその使用によるせめぎあう文化的差異の達成を経験的に記述することを目指した。
本研究における音楽(や音楽に関する知識)もまた、ある文化的カテゴリーと結びついたものとして、誰かを説明したり、メンバーシップの確認を行なう際にみられるものだった。
報告では、校内放送での選曲に関するエピソードを題材に、選曲において「オタク」であることを問題化させないための工夫と、その問題化の場面についてみていく予定です。

6)「コンピュータ音楽に媒介された相互作用とライヴ」
発表者:原島大輔(東京大学大学院)
時間帯:17:45-18:30
発表要旨:
本論文は、一般的にしばしばそのライヴ性の欠如が指摘されるコンピュータ音楽のパフォーマンスについての考察を通じて、現代的な諸技術環境におけるライヴ性の条件を提示する。ソフトウェアによってその機能を柔軟に変形しデジタルな再生産やシミュレーションを得意とするコンピュータが個人的な所有物となり、しかもそれらが他のコンピュータや他の諸技術とネットワークされている、現代の技術的なメディア(すなわち環境の複数形)において、われわれはそのような諸環境と相互に補完しあうようにして成立している。そのような諸環境において実行される音楽的パフォーマンスに関してライヴとメディアの二項対立を設けることは、たとえそれがメディアに対するライヴの卓越を喧伝しようとするものであれ、メディアによる汚染からライヴの純潔を保護しようとするものであれ、かえってそのことによってライヴを固定し時代遅れなものにするか、特定の時代や文化や社会における偶然的な構築物に還元することになるだろう。ライヴとメディアは対立関係にあるのではなく、また特定の技術の使用がライヴと非ライヴとを区別する基準になるわけでもない。ライヴ性とは、対象の客観的な特性ではなく、そこに参与するわれわれによってある程度構成されるものであり、したがってある程度相対的なものである。しかしそう断言することでわれわれが主張しようとしていることは、あらゆるメディア経験がライヴ的であるとか、ライヴ性は全く相対的であるといったことではない。問題は相対的な構成を制約する機構であり、それこそがメディア化されたパフォーマンスのライヴ性についてのより普遍的な基準となりうる。先行するパフォーマンス研究におけるライヴ論を踏まえ、その問題点や不満を乗り越えるための補助線としてオートポイエーシス論に代表されるネオサイバネティクス諸論を参照しながら、本論文はライヴ性を定義付ける。すなわち、われわれがわれわれの埋め込まれた諸環境を或る種の生命的なものとして構成せずにはいられなくなるような、われわれとメディアとの特異な相互作用のあり方を特定する。

※時間帯は目安ですので、前後する可能性があります。余裕をもってお越しください。

問い合わせ先:安田昌弘(研究活動担当理事)
yasuda_at_kyoto-seika.ac.jp (_at_をアットマークに変えてご送信ください)