2026年JASPM卒業論文・修士論文発表会
日時:3月14日(土)11:00-17:50
会場:ZOOMによるオンライン開催+オフライン会場(関東地区・関西地区)
・関東地区:武蔵大学江古田キャンパス
・関西地区:大阪大学豊中キャンパス
*ZOOMアドレスは会員宛にメールニュースでお送りしています。非会員でも参加可能ですが、非会員で参加を希望する方は、知り合いの会員にアドレスを尋ねた上でご参加ください。オフライン会場の詳細についても同様に会員にお尋ねください。
オンライン・オフラインどちらの参加でも構いません(発表者・参加者とも)。オンライン開催を主軸としますので、オフライン会場にお越しの方もPCやタブレットなどオンライン参加可能な機材をご持参ください。会場でのWifi接続は可能です。各会場ごとに終了後、懇親会を行います。
プログラム
*発表ごとの要旨は下に記載していますので、スクロールしてご覧ください。
11:00 開会挨拶
部会A 司会:星川彩(大阪大学大学院博士後期課程)
11:05-11:35
通崎晃史(大阪大学文学部)「「コピーバンド」文化史研究」
11:35-12:05
本村聡真(大阪公立大学文学部)「ポピュラー音楽におけるジャンルの言説はどのように変化するのか」
12:05-12:35
梅原真生(東京芸術大学音楽学部音楽環境創造科)「社会文化としてのポピュラー音楽の楽曲分析 ーYouTube上の楽曲解説動画を事例としてー」
12:35-13:05
柳田陽平(大阪公立大学文学部)「現代日本における音楽的センスの実態」
13:05-13:30 休憩
部会B 司会:加藤夢生(東京大学大学院特任研究員)
13:30-14:00
小山詩織(同志社女子大学学芸学部メディア創造学科)
「歌声合成ソフトウェア「VOCALOID」の普及初期段階における社会的構築」
14:00-14:30
渡辺壮太朗(九州大学芸術工学部)「2020年から2024年までのボーカロイド楽曲とJ-POP楽曲における音楽的特徴の比較分析」
14:30-15:00
濵田卓志(九州大学芸術工学部)「レッド・ホット・チリ・ペッパーズにおけるドラム演奏のグルーヴ感の分析」
15:00-15:30
郡山未樹子(九州大学芸術工学部)「『あんさんぶるスターズ!!』の楽曲における日本伝統音楽的要素の分析」
15:30-15:45 休憩
部会C 司会:大嶌徹(玉川大学学術研究所)
15:45-16:15
井上智裕(立命館大学大学院文学研究科)「戦前日本における流行歌批判」
16:15-16:45
岸本寿怜(大阪大学大学院人文学研究科)「日本における「フュージョン」の成立史——1980年前後の受容を考える——」
16:45-17:15
太田智大(東京大学大学院人文社会系研究科)「「プランダーフォニックス」をポピュラー音楽として再考する―サンプリング・ミュージックをめぐる言説と実践との関係から」
17:15-17:45
中山 惇(筑波大学大学院 人文社会ビジネス科学学術院 ビジネス科学研究群 経営学学位プログラム)「アーティストへのコミットメントに対するライブ体験の影響」
17:45-17:50 閉会挨拶
発表要旨
部会A
11:05-11:35
■通崎晃史(大阪大学文学部)「「コピーバンド」文化史研究」
私が卒論でテーマとしたのは「コピーバンド」だ。「コピーバンド」というと人により様々な定義があるだろうが、バンド形式のカバー演奏であるという前提は間違いないだろう。しかし「コピーバンド」は和製英語であり(そのためここでは日本での実践を指すものとする)、主にアマチュアによる実践であるため、カジュアルに使われる言葉ながら研究対象とされることはほとんどなかった。類義語である「トリビュートバンド(tribute band)」の研究においてはその意味がロックにおけるものに限定され、トリビュートバンドはポストモダン、キュレーションなどの概念と結びつけられた。以上を踏まえ卒論では、コピーバンドがこれまでどのような意義を見出され、どのような変遷を経てきたのか、実証的な資料から歴史的に読み解いた。
第1章ではプレイヤー向け音楽誌での言説に着目し、1960年代から1990年代までのコピーバンドの意義の変遷を炙り出すとともに、時代にとらわれずコピーバンドが持つ機能についても分析した。具体的には、コピーバンドには「洋楽の要素を吸収し日本語のオリジナルに繋げる」「憧れの人を真似したいというファンダムの一種」という大きく分けて2つの側面があり、60年代には前者の要素が強かったが90年代にかけて後者の要素が強まり、コピー元が洋楽ばかりであったのが邦楽がむしろメインになっていったということだ。さらに、80年代以降は高校や中学に軽音楽部が普及し、必ずしも「ロック好き」でない学生がスポーツと同様に課外活動としてコピーバンドに取り組むようになったこと、コピーバンドがアマチュアとプロの架け橋となる多様な位置付けが可能な実践であるということも明らかにした。
第2章ではトリビュートバンドを広い視野で見つめ直し、再現要素のない文字通りトリビュート行為だけを目的とする演奏や、ものまねとトリビュートバンドの関わりを分析した。1990年代以前にトリビュートバンドというと、ジャズにおいて「特定のミュージシャンを讃えるためにアレンジしてカバーする」ことを指したが(この文脈での「トリビュートバンド」の用法も未だ主流ではある)、1990年代には洋ロック的な「特定のミュージシャンを完全再現して神聖化する」トリビュートバンドが増加した。このような再現の重視により、トリビュートバンドは再現や誇張で笑いをとる「ものまね」と時に混同され、軋轢を生むこともあった。また、多くのトリビュートミュージシャンらは、ファンの純粋ななりきり欲を出発点としており、第1章のファンダム的コピーバンド実践者らと何ら変わりはなく、コピー元のミュージシャンが歴史的、権威的とされるかどうかが名称を左右していると言える。
このように、コピーバンドは様々な意義が投影され、文脈によって多様な意味づけができる実践であると言える。今後は、音楽の「模倣」というテーマに関して、より焦点を絞り具体的な分析を試みるつもりだ。
11:35-12:05
■本村聡真(大阪公立大学文学部)「ポピュラー音楽におけるジャンルの言説はどのように変化するのか」
本論文は、ポピュラー音楽におけるジャンルという概念がそこに内包される特定のアーティストとどのように関連付けられるのかということを、日本の音楽ジャーナリズムにおいて重要な役割を果たしてきた『ミュージック・マガジン』におけるアメリカのロックバンド、ダイナソーJr.の言説変遷を対象に、ポピュラー音楽におけるジャンルがいかに生成され、変容し、固定化されるのかを1980年代末から1990年代末までの本誌の言説を分析することで考察するものである。
本論文ではリック・アルトマンの映画ジャンル理論、ジェニファー・C・レナの時間経過に伴うジャンルの発展理論、およびフランコ・ファブリによるジャンルの諸規則を援用し、言説分析を行った結果、ジャンル概念の変容には「ジャンルの本質的要素」という虚構の概念の変容が起こっていることを明らかにした。
分析の結果、以下の三段階の変遷が確認された。 第一段階(1980年代末〜1991年)では、対象は「シーン」の文脈で語られ、特定の音楽形式以上に、インディーズという「立場の真正性」、さらにはインディーズのアーティストが活動する都市という社会的な背景の存在が美的体験に結びついているとされ、作品は聴衆に都市を体験させる記号であるとされた。この時点では、「社会的・行動様式的ルール」がジャンル形成の主な要素となっていた。 第二段階(1991年〜1993年)のオルタナティヴ/グランジ・ブーム期においては、メディア言説は「商業主義対アンダーグラウンド」という二項対立を強調し、ジャンルに多分に思想的な記号が付与された。 また、反商業的な思想的な背景の付与と同時に、オルタナティヴ/グランジという概念は多分に商業主義的な要素を内包する矛盾を抱えた概念として成立した。第一段階で重要な役割を果たしたシーンが徐々に注目されるようになったことで、そのシーンがオルタナティヴ/グランジという新たなブームとして新しいジャンル概念の中にアーティストが包摂されるようになったのである。第三段階(1995年以降)のブーム終焉後には、それまで「社会的背景」、あるいは「行動様式上の規則」に付随していたジャンルの意味内容が脱落し、代わって「轟音」「脱力」といった特定のアーティストのみを形容するための音楽的様式が、事後的にそのアーティストを包摂しているジャンル自体を定義する「本質的属性(形式的・技術的ルール)」へとすり替えられた。
以上の分析から、ジェニファー・C・レナのジャンル発展モデルを検討する形で、以下の結論を導き出した。すなわち、ジャンルの伝統化の過程においては、当初は個別テクスト(アーティスト)を形容していたに過ぎない語彙が、事後的にジャンル全体を規定する形容詞的な本質へと転換される。音楽ジャーナリズムは、この重層的なジャンルに関する言説のすり替えをスムーズに接続することで、ジャンル間の移行を「自然な発展」として制度化する装置として機能しているのである。
12:05-12:35
■梅原真生(東京芸術大学音楽学部音楽環境創造科)「社会文化としてのポピュラー音楽の楽曲分析 ーYouTube上の楽曲解説動画を事例としてー」
本研究では、ポピュラー⾳楽の楽曲分析という学術的⾏為が、 社会でどのように実践され、どのような意義を持っているのかを明らかにすることを⽬的とした。そのために、 YouTube上の楽曲解説動画を研究対象に取り上げ、それらがどのように視聴者に受容されているのか検討した。
従来、ポピュラー⾳楽研究分野における楽曲分析の意義や⼿法については議論がされてきたが、 楽曲分析という学術的⾏為が社会でどのような意義を持つのか、その現状についての議論は⼗分ではない。 近年、専⾨家が⾳楽理論を⽤いて、⼀般⼤衆向けにポピュラー⾳楽の楽曲を語るコンテンツがよく⾒られるようになったことに注⽬し、YouTube 上の楽曲解説動画を対象にコメント分析を⾏なった。
分析対象のチャンネルとして、専⾨的な⾳楽教育を受けた Dr.Capital とドクターカイトトミタを選定し、各チャンネルから視聴回数上位 2 本の動画を抽出した。 各動画から無作為に100 件のコメントを抽出して⼿作業によるコーディングを⾏なった。さらに、AI ツール(Exploratory Version 13.10)を併⽤して、各動画のコメント全件を対象にコメント分析を⾏なった。
その結果、コメントは⼤きく4つのカテゴリに分類できた。①動画に対する反応(感情的反応・感謝・要望など)、②原曲やアーティストに対する反応(愛着・敬意の表現など)、③楽曲分析への参加(分析・学習・情報補⾜など) 、④共同体形成(個⼈的な体験や感情の共有・呟きなど)である。
これらの結果より、楽曲解説動画は娯楽・ファンの感情表出の場・共同体形成の場として視聴者に受容されていることが考察できた。 加えて、楽曲分析は視聴者の主な関⼼ではないことが明らかになった。
アニメのタイアップ楽曲を取り上げた解説動画に関しては、アニメと関連付けた分析・考察コメントが⾒られたため、タイアップ楽曲の解説動画では領域横断的な消費が⾏われていることが明らかになった。 このことから、 タイアップ楽曲の解説動画の視聴がアニメの消費の延⻑線上にあることが推察できた。
さらに、以上の考察を踏まえて「アーティスト」「聴衆」「批評家」のいずれとも異なる、「発信者」という存在の新規性が明らかになった。
結論として本研究は、楽曲分析が楽曲解説動画を娯楽として成り⽴たせ、共同体形成としての側⾯を促すための要素として実践されていること、すなわち楽曲理解の深化という本来の意義とは異なる意義を持って社会で実践されていることを明らかにした。
12:35-13:05
■柳田陽平(大阪公立大学文学部)「現代日本における音楽的センスの実態」
【研究の背景と目的】
現代の日本における音楽聴取環境は、サブスクリプションサービスの普及により劇的な変化を遂げた。かつてピエール・ブルデューが提唱したように、音楽的趣味は社会的地位や経済的資本と結びつき、特定のジャンルを聴くことが「卓越化」や「差異化」の手段として機能していた。しかし、安価で膨大な楽曲へのアクセスが可能となった現代では、聴取内容と社会的地位の直接的な結びつきは弱まり、単に「何を聴いているか」だけでは音楽的センスの良し悪しを判断することが困難となっている。
本研究の目的は、音楽がデジタル化・アクセサリー化し、消費サイクルが加速する現代日本において、いかなる聴取態度や共有行動が「音楽的センス」として立ち現れているのかを明らかにすることにある。特に、他者からの評価を前提とした「音楽の共有行動」に着目し、その実態を「文脈適合能力」という観点から考察する。
【調査対象と分析手法】
本研究では、音楽の共有が行われる場を以下の3つの空間に大別し、それぞれの空間で支持されている共有形式と、そこに働く「自己呈示」「交流」「情報提供」の力学を分析した。
1. 音楽的趣味空間(X/旧Twitter): 特定の趣味に基づいた交流が活発な場として、ハッシュタグ「#私を構成する42枚」の投稿内容と、その評価基準(いいね数等)を調査した。また、補助的調査として大阪公立大学軽音楽部員15名を対象に同様のリスト作成とアンケートを実施し、既存のコミュニティ内での共有態度との比較を行った。
2. 非趣味空間(Instagram/TikTok): 音楽的趣味で個人が規定されづらい場として、街頭インタビュー企画「今なに聞いてますか?」等の動画コンテンツを対象に、選曲の多様性や受容の特徴を分析した。
3. ファッション的趣味空間(WWDJAPAN/FASHIONSNAP): ファッションという視覚的趣味と音楽が密接に結びつく場として、主要ファッションメディアにおける来場者インタビューやアーティスト紹介記事を分析対象とした。ファッションによって個人が規定される空間において、音楽がいかに自己のスタイルを補完・補強する要素として共有されているかを探った。
【分析と考察】
分析の結果、音楽的趣味空間においては、多様なジャンルを網羅する「オムニボア的聴取」や「世俗的な流行の排除」が高い評価を受ける傾向にあることが示された。しかし、これは単なる知識の顕示ではなく、その空間における「音楽好き」という集団への参加・交流を目的とした戦略的な「同質化」の手段である。対照的に、非趣味空間では、音楽そのものよりもその場の空気感や文脈に即した楽曲提示が重視されていた。
ファッション的趣味空間においては、音楽は個人の視覚的なスタイル(ファッション)と不可分な「アクセサリー」として機能しており、そこでの選曲は自己のアイデンティティを視覚情報と整合させるためのツールとして共有されている。
これら全ての空間に共通して見られたのは、参加者がそれぞれの場の「評価基準」や「流れ」を敏感に察知し、それに応じて自らの聴取内容を最適化させて提示している点である。
【結論】
現代日本における音楽的センスとは、もはや「良質な音楽を知っていること」や「博識であること」を指すのではない。それは、自らが属する空間の文脈を的確に察知し、他者との関係性(交流・自己呈示等)を円滑に構築するために自らの選択を適合させる「文脈適合能力」であると結論付けられる。かつての卓越化の指標が「知識」や「所有」であったのに対し、現代のセンスは、広大な情報空間の中でいかに場の空気に最適化できるかという、高度なコミュニケーション技法へと変容しているのである。
部会B
13:30-14:00
■小山詩織(同志社女子大学学芸学部メディア創造学科)
「歌声合成ソフトウェア「VOCALOID」の普及初期段階における社会的構築」
本研究は、「VOCALOID」 という歌声合成ソフトウェアが、普及初期段階(2003-2011 年前後)において技術者・開発者・ユーザーによる相互作用の過程を経て、どのように多層的な意味を与えられ、技術的にも変容したのかを明らかにすることが目的である。
VOCALOIDとはヤマハが2004年から一般発売を開始した歌声合成ソフトである。歌声合成ソフトはメロディや楽曲の編集を行う「ソングエディタ」と、音声や歌声の調整を行う「ボイスエディタ」によって構成される。そして、「初音ミク」などに代表されるボイスバンクと呼ばれる音声データベースを用いることで、ユーザーは「声」を作ることができる。VOCALOIDという商品名は一貫して使用されているが、技術的基盤や性能は持続的に変化を続け、変動的なソフトウェアとして発展してきた。そして、初音ミクの登場以降、VOCALOIDは単なる歌声合成技術にとどまらず、キャラクター性や創作文化を伴うメディアとして広く認知されるようになった。
これまで、VOCALOIDに関する議論は大まかに①美学・芸術的意義、②ファンコミュニティ、③ビジネスモデルに焦点を当ててきたが、それらの多くは「VOCALOID=初音ミク」という構造を前提としている傾向がある。その結果、VOCALOID の技術的側面、つまり「歌声」を合成するという機能それ自体の重要性が見逃されてきた。以上の問題点を踏まえ、本研究はVOCALOIDを単なる商品や文化現象としてではなく、「歌声合成技術を実装したソフトウェア」として捉え直す。そして技術者・開発者・ユーザーそれぞれがこの技術にどのような価値や期待を見出し、相互作用を通じて再定義されていったのかを検討し、技術的変化の相互作用に着目する。
理論的には、技術と社会の相互形成過程に注目する①SCOT(技術の社会的構築)、音楽ではなく「音」そのものの文化的意味を問う②サウンドスタディーズ、この2点を枠組みとした。そして、開発資料・製品構造・ユーザー実践を分析した結果、技術者はVOCALOIDを「人間の歌唱を目指した操作可能な音」として、開発者は「DTM音源」として、ユーザーは「自己表現のためのメディア」あるいは「人格を帯びた声」として位置づけていたことが明らかになった。さらに、こうした多様な意味づけは単なる解釈にとどまらず、エンジンの改良やボイスバンクの分離といったモジュール構造を促していた。すなわち、アクターによる捉え方の変化が技術構造の再編へと繋がり、その再編がさらに新たな意味生成を可能にする循環が生じていたのである。
本研究は、VOCALOIDを固定的な技術ではなく、複数のレイヤー(技術・商品・キャラクター・創作基盤)が相互作用のなかで生成・変容されるメディアとして位置づけ、ソフトウェア環境において「声」が分割・再編集可能なデータとして変換されていく過程を示した。
14:00-14:30
■渡辺壮太朗(九州大学芸術工学部)「2020年から2024年までのボーカロイド楽曲とJ-POP楽曲における音楽的特徴の比較分析」
合成音声を用いて制作される楽曲群、通称「ボカロ」は、1つの音楽ジャンルとして社会的認知を得つつある。近年、ボカロP(ボカロ楽曲の制作者)出身クリエイターがJ-POPに進出する事例が増加しており、ボカロとJ-POPの境界は希薄化しているとの言説が見られるが、両ジャンルを比較した先行研究において音楽的構造に関する検証は十分ではない。本研究は、近年のヒット曲を対象に両ジャンルの音楽的特徴を網羅的・定量的に比較分析し、差異や関係性を明らかにすることを目的とする。分析対象は、2020年から2024年のボカロ(Vocaloard Chartsより独自集計)およびJ-POP(Billboard JAPAN Year End Hot 100における国内曲)のランキング各年上位20曲、延べ201曲とした。主要な分析項目は、BPM、演奏時間、調性、クリエイター属性等の基礎情報、和声進行、使用楽器、リズムパターン、歌詞の音韻密度[音/秒]および[音/拍](1秒・1拍あたりの発音数)である。なお、基礎情報以外は楽曲のサビ部分を分析対象とした。データは既存情報を参照しつつ、著者の聴覚的分析に基づき精査・修正した。さらに、得られたデータに対し分布比較と相関分析を実施した。分析の結果、複数の指標において両ジャンルの対照的な特徴が明らかとなった。基礎構造において、ボカロはJ-POPよりテンポが速く、演奏時間が短い。調性はボカロが短調、J-POPは長調を主軸とする。和声進行はボカロでJust the Two of Us進行が、リズムパターンは4つ打ちが多用される。使用楽器はボカロで電子系が多く、アコースティック系が少ない。音韻密度[音/秒]において、ボカロがJ-POPより高速歌唱である。こうしたボカロ的特徴は、J-POPにおけるボカロP関連楽曲でも確認された。さらに、BPMと音韻密度[音/拍]の関係を分析したところ、J-POP内部では両者間に中程度の負の相関が見られたが、ボカロ内部では無相関であった。また、両ジャンルに共通してBPMの高速化と演奏時間の短縮化の傾向が認められたが、いずれもボカロにおいてより強い相関が示された。本研究の結果は、近年のボカロが「情報の高密度化傾向」と、構造における多様性と均質性の二面性を有することを示唆している。ジャンルによるBPMと音韻密度[音/拍]の相関の差異から、ボカロは「身体的制約からの解放」が表現の多様性拡大に寄与していると推察される。楽曲構造の均質化については、インターネットを中心とした聴取実態や、個人制作の多い環境の特性を反映したものと解釈できる。一方で、ボカロ的特徴がボカロP出身クリエイターを通じて直接的にJ-POPへ輸入されている実態が一部確認されたが、その明確な増加傾向は見られなかった。このことから、ジャンル境界は完全に希薄化されておらず、ボカロとJ-POPの間には依然としてジャンル自体が持つ性質の差異が維持されていると考えられる。
14:30-15:00
■濵田卓志(九州大学芸術工学部)「レッド・ホット・チリ・ペッパーズにおけるドラム演奏のグルーヴ感の分析」
ポピュラー音楽におけるドラムのグルーヴ感は、前寄りの発音でロック等に見られる疾走感のある「ドライブ感」と、後ろ寄りの発音でジャズ等に見られる重厚感のある「レイドバック感」の大きく2種類に分類される(宮丸ら 2017)。従来のリズム分析では、小節を拍単位で区切る離散的手法が主流であったが(Singh and Nakamura 2022)、拍単位で扱われるため、その楽曲やアーティスト、ジャンルが持つグルーヴ感を細かく観測することはできない。そこで本研究では、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下「レッチリ」)の楽曲を対象に、バスドラムおよびスネアドラムの発音タイミングに生じる微細な時間的ずれを分析し、ドラム演奏におけるグルーヴ感の特徴とその変遷を明らかにすることを目的とする。また、レッチリと同年代に活躍、流行した他のアーティストとの比較も行うことで、レッチリと他の音楽ジャンル・アーティストとの音楽的な影響関係を、グルーヴ感の観点で考察する。
分析対象は、ドラマーのチャド・スミス加入以降にリリースされたレッチリのアルバムから選出した楽曲20曲であり、音楽的内容や活動状況に基づいて5期に区分して分析した。分析では、各楽曲について構成ごとに音源波形データを抽出し、テンポの異なる各小節の実時間を0〜100の共通の相対時間に換算し、バスドラムとスネアドラムの各打点の発音位置を比較した。分析の結果、第Ⅰ期(1989–1995)では、バスドラムとスネアドラムの発音位置が拍頭より後方に位置する傾向が顕著に見られ、「レイドバック感」が強く確認された。第Ⅱ期(1999–2000)では、発音位置は比較的安定しているものの、スネアドラムにおけるゴースト・ノート(細かく刻まれる微かな音)の使用が増加し、音量や音色の差異を通じてニュアンスが付与されていた。第Ⅲ期(2006)では、16分音符単位でのリズムの細分化が進み、楽曲や構成に応じて「レイドバック感」と「ドライブ感」を使い分ける傾向が明確に現れた。第Ⅳ期(2011–2016)では、拍頭の安定性を維持しながらも、装飾的要素やリズム構造の変化によってグルーヴ感の多様性がさらに拡張された。第Ⅴ期(2022)では、発音位置が全体として前方に寄る傾向が強まり、楽曲全体を通じて一貫した「ドライブ感」が形成されていた。さらに、他アーティストとの比較分析の結果、レッチリは初期段階から相対的に後方寄りの時間配置が特徴として現れる等、独自のグルーヴ様式を形成していたことが明らかとなった。また、チャド・スミスのドラミングの特徴であるゴースト・ノートは発音タイミング自体には大きな変化を与えないものの、音の強弱等の差異を通じてグルーヴ感に影響を与える重要な要素である可能性が示唆された。
以上の結果から、レッチリにおけるグルーヴ感は、演奏手法や特定の時期に限定されるものではなく、グルーヴ感の扱い方を時代ごとに変化させてきた点に特徴があることが明らかとなった。
15:00-15:30
■郡山未樹子(九州大学芸術工学部)「『あんさんぶるスターズ!!』の楽曲における日本伝統音楽的要素の分析」
近年、スマートフォン向けアイドル育成ゲームが社会的な人気を博しており、なかでも『あんさんぶるスターズ!!』(以下『あんスタ』)はメディアミックス展開を含め、シリーズ累計2000万ダウンロードを超える巨大コンテンツとなっている 。こうしたアイドル作品に関する先行研究は、聖地巡礼による地域振興(鈴木ら2020)や市場開拓(Chan 2022)の観点からはなされているものの、コンテンツの核である「楽曲そのもの」の音楽構造に焦点を当てた研究はほとんど存在しない。アイドルゲームにおいて、音楽は各アイドルの個性を表現する不可欠な要素であり、特に『あんスタ』の和風ユニット「紅月」のように日本伝統文化をコンセプトとする場合、その音楽的表現手法を明らかにすることは、現代のポピュラー音楽における日本伝統音楽の受容を理解する上で重要である。
本研究の目的は、『あんスタ』の楽曲において日本伝統音楽の音階や和楽器がいかに取り入れられ、現代のエンターテインメントとして再構築されているかを明らかにすることである。分析対象楽曲は「紅月」の全19曲と、他ユニット6曲の計25曲とし、(1)東川清一の日本音階理論に基づきKawase(2013)の手法を用いた歌唱パートの音階分析と、(2)楽曲のセクションごとの楽器編成とその役割の分析の2点を行った。
音階分析の結果、最も顕著な特徴として「紅月」の楽曲では東川理論の「陽類」の音階が多用されていることがわかった。一般に演歌や歌謡曲での「和風」の演出には、情緒的で哀切な響きを持つ「陰類」が用いられやすいが、本対象曲では「陽類」の持つ明るく開放的な響きが、アイドルの輝きやポジティブなメッセージ性に合致していると考察した。また、1曲の中で一貫して5音音階が維持されることは稀であり、A・Bメロで5音音階を提示して日本伝統音楽的アイデンティティを確立しつつ、サビでは西洋的な7音音階へ拡張してポピュラー音楽としての高揚感を生み出すという、セクションごとの使い分けが確認された。
楽器編成の分析においては、和楽器が単なる装飾楽器ではなく、ロックアンサンブルの1楽器としての役割を担っていることがわかった。尺八は伝統的な奏法を活かして主旋律やボーカルの対旋律を担い、三味線や箏はリズムやコードの補完、さらにはディストーションギターとのユニゾンによって独自のハイブリッドな音像を構築していた。
以上の結果から、『あんスタ』における日本伝統音楽の受容は、伝統の完全な模倣ではなく、現代のポピュラーミュージックへ適合させるための「高度な再構築」であると結論付けた。「陽類」の明るさや和楽器の鋭いアタック音を戦略的に活用することで、若年層のユーザーに「古臭くない日本らしさ」を提供しているといえる。
本研究により、曖昧に語られがちな「和風」楽曲の構造を厳密な理論に基づき解明するとともに、メディアミックス作品における伝統音楽の創造的受容のあり方を提示した。”
部会C
15:45-16:15
■井上智裕(立命館大学大学院文学研究科)「戦前日本における流行歌批判」
本研究は、戦前日本における流行歌言説の歴史的変遷について、啓蒙的な知識人層によって展開された流行歌への批判および論争の事例から考察するものである。検討の俎上に載せるのは、1929年の《東京行進曲》論争と、1932年の『音楽世界』誌上の論争であり、両者の比較を通じて、1930年代前半に流行歌をめぐる「言説の転換」が生じたことを明らかにする。
輪島(2010、2015)や永原(2017)など、流行歌を言説面から論じた先行研究では、1920~60年代にかけて、西洋芸術音楽を規範とする音楽観に基づき、流行歌を対比的に「低級」とみなす認識が主流であり続けたと説明されてきた。両者の研究は、いずれも大局的な視点から戦後にまで通底する言説編制を捉えたものであるが、一方で、こうした俯瞰的な見通しは言説の重層性や微妙な差異を見落としかねない側面もあるように思われる。とりわけ永原(2017)は、先述の二つの論争を並列させ、流行歌批判の「一貫性」を強調しているものの、1932年の論争については後述する「反論」の内容に全く言及していない。しかし、戦前の流行歌批判を読み解くうえではむしろ、批判に対する対抗的な言説の出現という点にこそ新たな手掛かりがあるのではないか。このような仮説から先行研究の知見を更新することが本研究の目論見となる。
1929年の《東京行進曲》論争は、同楽曲を批判した音楽評論家・伊庭孝と、作詞家・西條八十による直接対決を軸に展開され、後続として複数の知識人が召喚されるに至った。特筆すべきは、議論のなかで流行歌の「卑俗性」は限りなく自明なものとして共通認識となっており、擁護派であっても歌の「卑俗性」を認めたうえでの消極的な容認にとどまっていたという点である。
それから三年後の1932年、『音楽世界』誌上で伊庭は再び流行歌論争を誘起した。永原(2017)が指摘する通り、伊庭の主張は前論争から一貫しているが、本研究では先行研究で看過されてきた若手論客による「反論」の方に着目する。彼らは歌の「卑俗性」を「大衆性/社会性」として肯定的に読み替え、流行歌を積極的に称揚したのである。
さらに、僅か3年の間にこのような「言説の転換」が生じた背景として、同時期に変容しつつあった音楽批評の文脈を指摘する。論争の舞台となった『音楽世界』は、1930年に編集主幹となった塩入亀輔によって、社会面を重視した編集方針を打ち出していた。また1930年代前半に多数現れた批評論のなかでは、クラシック音楽に限定されてきた従来の形態から脱し、大衆音楽をも正当な批評の射程に組み込もうとする主張が現れていた。
以上の検証を通じて確認されるのは、戦前の流行歌批判において、単なる否定に収斂するのではなく、歌の社会的価値を客観的に把握しようとする新たな動向である。それらは西洋芸術音楽を規範とする音楽観を後退させるところまでには及ばなかったかもしれないが、大衆音楽を国民の慰安や啓蒙の手段として積極的に動員しようとする戦時下の諸運動をはじめ、後年展開されていく文化運動とも連動するものとして位置づけられよう。
16:15-16:45
■岸本寿怜(大阪大学大学院人文学研究科)「日本における「フュージョン」の成立史——1980年前後の受容を考える——」
1. 問題の所在と研究目的
1970年代後半から80年代前半にかけて、日本のポピュラー音楽シーンでは「フュージョン」が隆盛を極めた。カシオペアやTHE SQUARE(現T-SQUARE)といった日本人グループが大衆的な成功を収め、全国各地で大規模なジャズ・フェスティバルが開催されたこの時期は、日本の音楽文化の一つの転換点であったと言えよう。しかし、大衆音楽に関する記述において、フュージョンは長らく学術的な対象からは周縁化されてきた。その主たる要因は、戦後日本のジャズ受容を支配してきたモダンジャズ派による「真正性」を巡る言説の豊富さにある。『ジャズ批評』等を中心とする啓蒙的な批評空間において、電子楽器やロック的ビートを導入したフュージョンは、ジャズをジャズたらしめる「精神性」や「身体性」を毀損する「商業主義的な頽落」として非難されてきたのである。
本発表の目的は、こうしたモダンジャズ中心主義的な拒絶の論理を相対化し、日本におけるフュージョンという事象がいかなる言説的機序を経て成立したのかを実証的に明らかにすることにある。
2. 分析対象と手法
本研究では、1973年創刊の音楽雑誌『ADLIB』を主な分析対象とし、言説分析の手法を採った。
3. 分析結果の要点
第一に、呼称の変遷に見る「認識の枠組み」の確立である。創刊当初の「New Sounds」という雑誌独自の概念が、海外からの輸入用語である「クロスオーバー」へ、そして1978年頃を境に国内市場の成熟を伴う「フュージョン」へと収斂していく過程を確認した。特筆すべきは、当時の「フュージョン」という語が、現在では「シティ・ポップ」や「ワールドミュージック」等として峻別される多様な同時代音楽を包括的に捕捉し、布置するための認識の枠組みとして機能していた事実である。
第二に、読者共同体の組織化と「真正性」の変容である。先行研究が明らかにしてきた『スイングジャーナル』の上位下達的な啓蒙方針に対し、『ADLIB』は読者投稿欄や楽器奏法記事を重視する双方向的な誌面を形成した。そこでは、演奏家を「アイドル」として消費する女性層や、自らコピーバンドを組む楽器演奏層といった、能動的かつ享楽的な読者像が可視化された。
第三に、野口五郎やスペクトラムに象徴される「媒介者」の役割である。例えば、野口の楽曲に海外の一流奏者を起用するという制作戦略は、アイドルというカテゴリーに、洗練された海外演奏家の技巧を充填することで、主に若年女性がフュージョンに参入する媒介装置として機能した。
4. 結論と意義
以上から、日本におけるフュージョンとは「ジャズの単線的な発展形」というよりも、従来の教養主義・インテリ男性中心的な受容とは一線を画す、ミュージシャンへの「アイドル的視線」を下地とした、若年女性層をも含む広範な需要のあり方であったと言える。それは同時代の流行音楽を包括的に認識するための枠組みであり、その際、モダンジャズ派が重視した、ジャズとロックの二者融合という真正性の論理はもはや問題とならなかったのである。
本発表の意義は、これまで「商業主義」と片付けられてきたフュージョンを、日本の大衆音楽史における「真正性の再編」のプロセスとして捉え直した点にある。このフュージョンを媒介とした技巧の充填という手法は、後の1990年代におけるJ-POP(SMAP等)の成立において、日本のポップスが「世界と肩を並べた」という共同幻想を獲得するための不可欠な基盤となったのである。
16:45-17:15
■太田智大(東京大学大学院人文社会系研究科)「「プランダーフォニックス」をポピュラー音楽として再考する―サンプリング・ミュージックをめぐる言説と実践との関係から」
「プランダーフォニックス(Plunderphonics)」は、1980年代にカナダのアーティスト、ジョン・オズワルドによって提唱された語である。略奪(plunder)と音響(phonics)を組み合わせたこの語は、オズワルドによる芸術実践の名称であるだけでなく、その後のサンプリング・ミュージックをめぐる言説や実践においても一定のジャンルやシーン、理念や手法を表すものとしてしばしば用いられてきた。2010年代以降のオンラインプラットフォームを起点とした音楽文化においてもジャンルタグとして用いられるなど、プランダーフォニックスは今日のポピュラー音楽文化の一端として捉えられる。
既存のプランダーフォニックスをめぐる言説の多くは、著作権制度や音楽産業との対立を念頭に置いたその政治的・法的位置付けを主眼に置いてきたが、オズワルドの活動から今日のポピュラーカルチャーに至るまでの音楽実践としての展開の系譜や、その音楽としての特徴については十分に整理されているとは言い難い。本研究は、オズワルドの活動とその後の受容に関する言説と実践の分析を通して、プランダーフォニックスを法的・政治的側面だけではない美的・歴史的側面から再考し、その音楽文化としてのあり方を明らかにすることを目的とするものである。
論文の第一章では、プランダーフォニックスの始点となるジョン・オズワルドのエッセイと音楽作品を分析し、音響素材の認識可能性、入手可能性、聴取行為の創作への転化という特徴から当初におけるプランダーフォニックスのあり方を整理する。第二章では、Negativlandやクリス・カトラーらを中心にオズワルドのプランダーフォニックスをめぐる同時代の受容のあり方について検討し、著作権制度や産業への抵抗を示すカルチャージャミング的な実践者による参照、前衛的ポピュラー音楽の実践者による新たな音楽実践を語るための理論的思索の枠組みとしての導入というふたつの方向性においてプランダーフォニックスという語が拡散していったことを示す。第三章では、主にマッシュアップをめぐる学術言説の参照を通じて、より近年においても「プランダーフォニック」なものとして語られるサンプリング・ミュージックが美的・音楽的特徴においてオズワルドの実践との一定の連続性を持つことを示す。第四章では、より広範なサンプリングや「サウンド」概念をめぐる議論等を導入しながら、前章までに整理してきたような音楽実践としてのプランダーフォニックスを、美学的なポピュラー音楽研究の議論のなかに位置付けることを試みる。今日、法的対立を本質とするようなサンプリング・ミュージック論には限界も指摘される。本研究を通して、サンプリング・ミュージックにおける音響的な性質にかかわる美的追求という側面のもつ重要性について再検討するとともに、その議論を展開する一端としても、ポピュラー音楽の枠組みからプランダーフォニックスをめぐる音楽文化の系譜について再考することの意義を主張する。
17:15-17:45
■中山 惇(筑波大学大学院 人文社会ビジネス科学学術院 ビジネス科学研究群 経営学学位プログラム)「アーティストへのコミットメントに対するライブ体験の影響」
本研究は、日本の音楽産業において重要性を増すライブ体験が、ファンのコミットメント形成に果たす役割を実証的に解明することを目的とする。楽曲は動画プラットフォームやストリーミング配信の普及により無料または低コストで消費されるようになり、アーティストが楽曲の発表という「機能的価値」だけによって収益を獲得することは困難になっている。このような環境下では、多様なファン行動に対する支払意欲の高い「コミットメントの高いファン」の育成が、アーティストの持続的な収益確保に不可欠である。
本研究では、アーティストの魅力評価(内面的・外見的)、アーティストとの同一化意識、ファン同士の関係性(親近感・ライバル意識)、ライブ体験に伴う心理、ならびにファン行動意向(推奨・ライブ参加・グッズ購入・楽曲購入)を統合したモデルを構築した。日本のアーティストファンを包括的に対象とした実証研究は限定的であることから、アイドル研究を中心に発展してきたヒューマン・ブランドおよび心理的所有感の枠組みを拡張し、モデル化を行った。その上で、異なるブランディングを展開するアーティスト2組(Mrs. GREEN APPLE・藤井風)のファンを対象にオンライン調査を実施し、因子分析および共分散構造分析により仮説を検証した。さらに、ライブ参加経験の有無による群間比較を行い、体験の有無が心理構造に与える影響を検討した。
分析の結果、ファン同士の親近感はファン行動意向を強く規定する中核的要因であり、その形成にはアーティストの内面的魅力が重要な役割を果たすことが明らかとなった。また、ライブ参加経験は、アーティストに対する評価の深化およびファン同士の親近感の醸成を通じて、ファン行動意向を有意に高めることが示された。一方で、アーティストとの同一化意識は、場合によってはライバル意識を高める側面も有しており、必ずしも一様に正の効果をもたらすわけではないことが確認された。さらに、アーティストとの同一化意識がもたらす心理構造は、アーティストのブランディングによって異なる可能性が示唆された。
本研究は、ファン行動がアーティストに対する魅力評価のみならず、ファン同士の関係性という社会的要因に強く依存することを示している。これは、持続的な収益確保におけるアーティストの価値提供の重心が、楽曲という「機能的価値」から、アーティスト自身の内面性の提示を通じた価値観の共有という「情緒的価値」へと移行しつつあることを示唆するものである。特にライブ体験は、これらの関係性を活性化させる媒介要因として機能し、コミットメント形成の因果メカニズムにおいて重要な役割を果たす。すなわち、ライブは単なる収益源にとどまらず、「コミットメントの高いファン」の育成にも寄与する場として機能している。本研究は、産業構造の変化に直面する日本の音楽産業において、ファンとのリレーションシップ設計に関する理論的および実務的な示唆を提供する。
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お問い合わせ 日本ポピュラー音楽学会 研究活動委員会
jaspmkk(a)gmail.com
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